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ウォシュレットのないトイレでうんちをすることができない

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1,序論

 

洗濯するときに洗濯機を使うように

電車に乗るときにPASMOを使うように

 

ボクはトイレをするときにはウォシュレット付きのトイレを使う。

 

贅沢に慣れた現代人は、洗濯するときに洗濯板を使ってゴシゴシ洗濯をしようとはしないし、電車に乗るときにわざと券売機に並んで切符を買おうとしないし、わざわざウォシュレットのないトイレは選ばない。和式なら尚更だ。

 

しかし、洗濯機が壊れたらどうする?PASMOを忘れたらどうする?

 

そんな時はやむなく洗濯板を使ってゴシゴシするし、PASMOがなければ外が暑くても券売機に並んで切符を買う。それは不本意だが仕方のないことなのだ。

 

しかし、ウォシュレットはそうはいかない。

 

ウォシュレットじゃないトイレに入るくらいなら、2km先のウォシュレット付きのトイレまでひたすら我慢するし、なければ見つかるまで歩き続ける。道中で漏らしたっていい。

 

ウォシュレットの与える無限の快楽に負けたボクは、ウォシュレット付きのトイレじゃないと大便ができない身体に調教されてしまったのだ。

 

2,邂逅

 

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ボクがウォシュレットを初めて使ったのは確か小学校3年生の夏。外にはセミの鳴き声が響き、気温も30℃を超える猛暑だったことを覚えている。

 

当時はまだ小学校3年生だったということもあり、ウォシュレットは、インフレーションやオンデマンドサービス、クンニリングスといった横文字と同列で、"よく意味のわからないもの"という印象が強かった。

 

しかし、ボクはこの便座の横にあるウォシュレットと呼ばれる物体が何なのかに興味があった。

 

横文字でよく分からないが、興味はある。

 

この小学校には設置されていないおしりやビデといった謎のボタンがたくさん設置されているウォシュレットという物体は、一体何者なのか?

 

ビデとは一体なんなのか?語感がビデオに似てるってことはケツの穴でも録画するのだろうか?押してみたい!

 

おしりとビデ。押すとしたらどれを押そう。馴染みのある言葉はおしりだ。安全パイはおしりボタンだろう。

 

そもそもウォシュレットという物体自体がよく分からないのに、いきなりビデを押せるほど肝っ玉が据わっているわけじゃない。それならばまずはおしりを押してみよう。一杯目(おしり)頼んでよさそうなら二杯目(ビデ)を頼もう。そうだ、そうしよう。

 

様々な仮説を基に好奇心が胸躍り、試しにおしりというボタンに手を伸ばす。

 

するとどうだろうか?

 

我がトイレ人生9年で、グググググという聞いたことのない鈍音が便座から鳴り響いてるではないか

 

なんだ、いったい何が起こるというんだ...

 

まだ見ぬ出来事に、胸が張り裂けそうになる。オオ、オォ...

 

そして、グググググと轟く鈍音が突然、止まる。

 

 

 

 

おかしい

 

 

どういうことだ?

 

 

壊れてしまったのか?なにもいじってないのに壊れたぞ...?

 

 

 

 

先ほどまでと一転、張りつめていた心の糸が緩み、緊張がほぐれた。

 

 

刹那、冷たく太い水流がものすごい勢いで、アナルに直撃する

 

 

嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああnあnあnあnあんあん

 

生命の危機を感じ、おしりボタンを連打する。

 

やめっっっ!!やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんおノノノノ音暖ののん斧の

 

ウォシュレットはボクの魂の叫びに応えるようにその水撃を止め、静かに巣穴へと戻っていく。

 

 

 

 

 

驚いた。

 

 

 

なんだこの物体は...?

 

 

 

アナルにぶっとい水鉄砲を当てられた。家にあるおもちゃの水鉄砲の5倍は威力がある。

 

「やばい、こいつは小学校3年生が手を出してはいけないものだ。」

 

直感的に思った。

 

おしりボタンでここまで意表をつかれてしまった以上、ビデが何をしてくるのかが分からない。

 

前評判ではビデオと予測したが、そんなわけがない。おそらくアナルを破壊するものだ。

 

ボクは右横にあるビデというボタンが、いつかドラえもんでやってた地球破壊爆弾のスイッチのようなプレッシャーと危うさを秘めたボタンに見えた。決して、アナルをビデオで撮影する類のものではない。

 

押したら、殺される。

 

手を出すんじゃなかった。小3のボクにはまだ早い。大人しくトイレットペーパーを使い、ここを出よう。

 

そう思い、トイレットペーパーに手を触れようとした刹那

 

嗚呼あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああnあnあなんでええええええええええええ!!!!!!!!!

 

 

 

 

少年は知らなかった。おしりボタンを連打すると、確率にして1/2の確率でウォシュレットがもう一度アナルを洗浄しようとしてくることを。

 

やめっっっ!!やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんおノノノノ音暖ののん斧の

 

 

ボクとウォシュレットの出会いは最悪の形で始まったのだ

 

 

3,依存

 

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時は経ち、高校2年生。

 

この頃になると、ウォシュレットがどういうものなのかを理解し、よく使うようになっていた。

 

おしりボタンはアナルに付着したうんこを洗うためにあるもので、ビデは決してアナルを録画するものではない。

 

無論、インフレーションやオンデマンドサービス、クンニリングスといった横文字だってよくわかるし、最近はマスターベーション、アナルセックスといった高等な横文字だって理解できる、れっきとした大人だ。

 

そして、高校になると学校のトイレにもウォシュレットがつくようになり、家のトイレと相まってトイレをする際は24時間ウォシュレットをすることのできる環境にあった。

 

そんな恵まれた環境にぬくぬく浸かってしまえば、常におしりがクリーンな状態が当たり前になり、アナルがピカピカじゃないと気持ち悪い。このような現象に悩まされるようになった。

 

ウォシュレットがないと、気持ちが悪い。トイレットペーパーだけでトイレができない。

 

なぜなら、トイレットペーパーといえど所詮は紙だからだ。

 

小学校時代を思い出していただきたい

 

図工や美術の授業が終わった時、トイレットペーパーだけでパレットにある絵の具を。色の痕跡すら残さず完全に拭きとることはできただろうか?

 

まず、冷たい水でシャーッと洗い流し、残った微かな汚れをトイレットペーパーでゴシゴシ拭いてピカピカにしていたはずだ。

 

おしりも同じだ

 

うんこを出し終わり、汚くなったアナルを冷たい水流で洗い流し、残った微かな汚れをトイレットペーパーとかで綺麗に拭いてピカピカにするのだ。

 

言われて見れば理に適っている話ではないだろうか?

 

現代の人間が、地球が中心に動く天動説ではなく、太陽を中心に回る地動説を当たり前だと思っているのと同じように、

 

トイレットペーパーしか使わずアナルを拭くという時代は終わり、ペーパー&ウォシュレットでアナルをピカピカにするという時代が当たり前なのだ。

 

そのような時代の中で、奇しくもウォシュレットのない旧石器時代のトイレに遭遇することがある。

 

ウォシュレットに調教され尽くしてしまったわがままな我が身体は、もはや昔のようにアナルというパレットにうんこがねっちょりこびりついている感覚に耐えることができない。

 

ウォシュレットなしでトイレができなくなったのだ

 

こうなってしまったら最後だ

 

一度排便の気配を感じれば、ハリガネムシに寄生されたカマキリの様に、けつに水を求めウォシュレットイレを探す。

 

その目は生気を失い、口からはヨダレをダラダラ垂らし、ウォ...ウォ...という唸り声を道端で轟かせ、時にはケツからうんこを漏らしながら、ウォシュレットを求め、歩く。

 

 

 

我々現代人にとって、ウォシュレットとはもはやインフラ。

 

電気、水道、ガス、インターネット、ウォシュレット

 

なくてはならない存在。

 

いなくてはならない存在。

 

ないと発狂するし、お前を求めて歩くよ

 

お前が例え、7500里離れた場所にいても

 

俺はお前を探し求める。

 

だから、遠くに行かないでくれ

 

俺がお前を守るから

 

ずっとずっとお前のことを見てるから

 

だから、遠くに行かないでくれ

 

俺の一番愛する...

 

 

 

 4,結実

 

ウォシュレットは親であり友達でもあり、恋人のような存在でもある。

 

親のように当たり前に存在していると思い込むものでもあり、友達のように気楽で気の置けない存在でもあり、恋人のように刺激的で依存的なものでもある。

 

もはやウォシュレットなしの退屈な人生は考えられないし、結婚するならウォシュレットと結婚する。ウォシュレットの迸る水流で子供を作りたいし、ボクが死ぬときは棺にウォシュレットを厳かに入れてほしい。

 

そう、ボクは、ウォシュレットのないトイレでうんちをすることができない

 

この先、ずっと、永遠に...

 

 

 

 

陰キャラをアピールし、それを免罪符にして全てを許してもらおうとする人がいたらそれは私です

 

 

陰キャラであること、オタクであること、ぼっちであること。いわゆる"闇の世界の住人"がこれほど市民権を持ち世間に受け入れられているなんて10年前のボクは思いもしなかった。

 

少なくとも10年前、2008年の世間はもう少しオタク的カルチャーに対する冷たい目線があったし、ぼっちであることはそれだけで大罪人のような扱いを受け、集団でつるむこと is only 正義!な時代だったことは覚えている。

 

ボクは幼少期から外遊びを好まず、ものづくりや絵を描くことやウルトラマン人形を妄想上で闘わせることが好きな、いわゆる陰キャの素質を持って生まれてきた。

 

加えて、小3の頃にはすでにパソコンに触れていたし、身長も小さい。中学は卓球部。陰キャ国士無双

 

つまり、ボクは先天的にも後天的にも陰キャのエリートということになる。この世界に陰キャ大学なるものがあれば主席入学&主席卒業だってほしいままにできる、アルティメット陰キャエリートなのだ。この俺様に、跪けクズ共。

 

しかし、陰キャのエリートとはいえ所詮は陰キャ。先述の通りこの世界に俺の居場所はなかった。世間からも親からもどこからも白い目で見られ、肩身の狭い思いをしながら、何も悪いことをしてないのに十字架を背負って生きなければならなかった。

 

しかし、時代が俺に追いついた。

 

"陰キャを表に出すことが恥ずかしくない"という風潮が世間に浸透した今、森の穴倉で冬眠していたこの俺様が真の力を発揮し、目覚める時が来たのである。

 

「さあ陰キャの帝王のご帰還だ。行進せよ!陰キャの同胞よ!!このマブしく忌まわしい陽キャの世界を、暗黒の世界へと染めるのだ!!!」

 

 

 ~~

 

 

さて、陰キャであることを表に出すことができるようになったとはいえ、所詮陰キャ陰キャだ。その名称がカーストの底辺を指していることは言うまでもない。

 

ただ、陰キャであることを表に出すことができる。俺はこれに目をつけ、あえて自分が陰キャラであることをアピールすることにした。

 

これが一体どういうことなのか。自分から陰キャだと周りに言いふらすのはデメリットではないのか?

 

 

実例を挙げて説明しよう。

 

 

陰キャ謙遜

 

陰キャ謙遜はその名の通り、相手が社交辞令などでこちら側を賞賛してきた時に、自分が陰キャラであることをカミングアウトすることで「あなたほど人生充実してないし、自分は地味な存在ですよ」という謙遜をすることだ

 

これをすることにより、相手は自分に比べて相対的に人生が充実している。すなわち陽キャであることを自覚し、相手はささいな優越感を得ることができるのだ。その優越感は人間関係を円滑にする潤滑油として利用でき、主に上司や目上の方に使うことが多い。

 

例えばこんな風に

 

「俺、昔ワルだったからさ~、よく廊下をバイクで走らせたり窓ガラス割ったりしてたわw」

 

「いやいや、ボク陰キャなんで○○さんみたいなことできないッス。さすがッス。」

 

自分を下げ、相手に尊敬の意を示すための陰キャ謙遜は、社会という荒波を超えていくための必須ツールであり、陰キャ謙遜なくして社会的成功はあり得ないのだ。

 

 

 

②ステルス陽キャマウンティング(謙遜マウンティング)

 

横文字ばかりで何を言っているか分からないので端的に説明すると、

 

陰キャアピールによる間接的な陽キャ自慢』だ。どういうことか

 

陰キャ謙遜が相手を上げる行為なのに対し、こちらのステルス陽キャマウンティングは自分よりレベルが低い、すなわち自分より陰キャな相手に対し、陽キャがいいそうな「クラブに行くのよ」みたいな話をし、「ええ!めっちゃ陽キャじゃん」という返事が返ってきたときに、

 

「いやいや、俺○○さんより陰キャだから怖くて」と返事をし、あえて自分が相手より陰キャであるという見え透いた謙遜をすることで、間接的にマウンティングをし、相手を劣等感にさいなみ、優越感に浸るという行為である。

 

成り上がりセレブママ同士の井戸端会議にごく普通の主婦が混じってママ会という、ドラマでよくある光景を思い出していただきたい。

 

あそこでは年収2000万の旦那を使い、「うちの旦那稼ぎが悪くて」と言ってみたり、慶応幼稚舎に入ってるのに「うちの子物覚えが悪くて」という自分下げを装った金持ちマウンティングが横行している。

 

要するにあれと同じだ。

 

しかし、前述の具体例をご覧いただければわかる通り、相手からは①の相手を上げる陰キャ謙遜と②のステルス陽キャマウンティングの区別がつかないことに注意しよう。

 

目上の人に対して謙遜をするか、格下に対してマウンティングをするか。その違いだ。

 

この行為はたった今私が考えた行為のため、これは謙遜だマウンティングだと区別をつけるアンテナの敏感な人間がいないが、

 

3年後、このような行為がメジャーになった時に陰キャアピールをしたとする。その際に、本当に謙遜をしているのか、それともマウンティングをしているのかが相手には分からなくなる。また、こちらが陰キャ謙遜をしたつもりでも、相手の解釈次第では陽キャマウンティングに解釈される場合もある

 

陰キャアピールが世間に浸透するとこのような弊害が生まれるため、使用する際は各自十分注意されたし

 

 

 

 

陰キャ拒否

 

陰キャ拒否。これは上司に飲みに誘われたときや、プライベートを過ごすまでもない知り合いにイベントやフェスなどに誘われた際に効果を発揮する、いわば交渉術だ。

 

上司からの飲みも

 

「飲み会、がいがーも参加するよな」

 

「ごめんなさい、ボク陰キャだから飲み会とかあんまり好きじゃないんですよね...」

 

という断り方ができるし、

 

プライベートを過ごすまでもない知り合いからのアウトドアなお誘いも

 

「がいがー!イベント参加するよな」

 

「ごめん!俺陰キャだからそういうの苦手だわ!誘ってくれてありがとう!」

 

という断り方ができる。

 

陰キャ拒否は「陰キャが非社交的である」という本来の陰キャの定義に則った使い方でもある。王道ゆえに強力。しかも、やんわり断ることができるため①②を使いづらいという人でも③なら...という人はこの先増えるはずだ

 

 

陰キャ責任逃れ

 

「おい!!!お前のミスで会社に3000億円の損失だぞ!!!!どうしてくれるんだ!!!!」

 

「ごめんなさい、ボク陰キャなんでできませんでした。」

 

これが陰キャ責任逃れ。

 

自分は陰キャで人間としての要領が悪いので失敗しちゃいました。でもスペックが低い陰キャだから仕方ないですよね?

 

といった意味を言外に込めている。

 

陰キャっぽい見た目の人はどんなにすごいスキルを持っていたとしても、その見た目故に勘違いされやすい。陰キャ=デキない雰囲気があるという一般的解釈を逆手に取った責任逃れ術である。

 

3000億円損させてしまった人に打ってつけのライフハックだろう

 

 

 

 

~~

 

 

いかがだっただろうか。これが『陰キャラをアピールし、それを免罪符にして全てを許してもらおうとする人』の全貌だ。そして、私の全貌でもある。

 

そして、『陰キャ謙遜』『ステルス陽キャマウンティング』『陰キャ拒否』『陰キャ責任逃れ』はいずれも世間に認知されていない、いわばシークレット処世術でもある。何を隠そう発案者は私であり、これから広まっていくからである。

 

先駆者としては、例えこの身が陽キャに支配されようとも、陰キャアピールは永遠に使っていきたいと思っている。

 

皆様方に置かれましても、積極的に陰キャアピールをし、それを免罪符にしてあらゆる欲望を満たしていただきたい。

 

 

 
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陰キャの帝王から愛をこめて.