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50年に一度の出来栄えと言われる「ボジョレー・ヌーヴォー」評価論から学ぶ人たらし術

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ボジョレー・ヌーヴォーというワインをご存知だろうか。

 

何それ?テニスのキメ技的なやつ?と考えている1%の愚か者のために、詳しい情報を以下に書き記しておく。

 

フランスワインの1つで、毎年11月第3木曜日に解禁される、特産品の新酒をボージョレー・ヌヴォー (仏: Beaujolais nouveau) という。以前はその年のブドウの出来栄えをチェックすることを主な目的としたもので[要出典]、ワイン業者が主な顧客であったが、その後、解禁日をイベントとして、新酒として大々的に売る販売戦略や販売手法が確立され、現在はフランスでも、日本と同じ目的で一般の消費者向けに売られている

 

ということらしい。もちろん出典はWikipediaだ。当然、ボクが1%の愚か者側の人間だったということは言うまでもない。

 

さて、このボジョレー・ヌーヴォー。近年SNS等で話題になっているのが、ボジョレー・ヌーヴォー販売におけるキャッチコピーだ。

 

1995年「ここ数年で一番出来が良い」
1996年「10年に1度の逸品」
1997年「まろやかで濃厚。近年まれにみるワインの出来で過去10年間でトップクラス」
1998年「例年のようにおいしく、フレッシュな口当たり」
1999年「1000年代最後の新酒ワインは近年にない出来」
2000年「今世紀最後の新酒ワインは色鮮やか、甘みがある味」
2001年「ここ10年で最もいい出来栄え」
2002年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄えで1995年以来の出来」
2003年「100年に1度の出」
2004年「香りが強く中々の出来栄え」
2005年「タフな03年とはまた違い、本来の軽さを備え、これぞ『ザ・ヌーボー』」
2006年「今も語り継がれる76年や05年に近い出来」
2007年「柔らかく果実味豊かで上質な味わい」
2008年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
2009年「過去最高と言われた05年に匹敵する50年に一度の出来」
2010年「2009年と同等の出来」
2011年「100年に1度の出来とされた03年を超す21世紀最高の出来栄え」
2012年「偉大な繊細さと複雑な香りを持ち合わせ、心地よく、よく熟すことができて健全」
2013年「みずみずしさが感じられる素晴らしい品質」
2014年「太陽に恵まれ、グラスに注ぐとラズベリーのような香りがあふれる、果実味豊かな味わい」
2015年「過去にグレートヴィンテージと言われた2009年を思い起こさせます」

2016年「エレガントで酸味と果実味のバランスがとれた上品な味わい」

 

見てもらえばわかる通り、年を経るごとにそのおいしさレベルがドラゴンボールの如きインフレ具合で上昇していく。

 

 

「10年に1度の逸品」の矛盾

 

まず、1996年。「10年に1度の逸品」という10年に1回しか使えないパワーフレーズを早速導入している。このフレーズを使ったが最後、今後10年間は1996年を超すことはできない。そう、この発言は自らの首を絞めているも同然なのだ。

 

そして、舌の根も乾かぬ2001年に「ここ10年で最もいい出来栄え」という同義な発言を繰り返している。大人しく「仄かな香りが際立つ名品」程度の表現に抑えておけばいいものを、欲張って「10年に1度」というマッスルワードを使用することで、その製品にプレミア感を演出することに成功したと同時に自らの首を絞めているのだ。

 

仮に、この10年が1996年から前後5年を指して10年という定義で話を進めたとして、1996年の前後5年は1991年~2001年が10年の範囲なので、ぎりぎりアウトだ。これにより運営の詰めが甘すぎることもわかった。

 

しかし、仮にガンジーの如き慈悲深い激甘採点でそこに目をつむったとしよう。2年後の2003年に待ち受けているキャッチコピーが「100年に一度の出来」。もう甘いとかそういうレベルではない。そもそも100年に1度とかそういう系ワードを使っていいのは現代に降臨する大天使・橋本環奈だけだ。

 

ともあれ、2003年で出してしまった以上、2053年まで「100年に一度の出来」系のワードを使えないことになる。10年に1度程度なら連発したところで「あ、もう10年経ったのか~」という誤魔化しが効く。しかし「100年に1度の出来」をごまかすことは出来ない。世界一の長寿を誇る日本人女性の平均寿命をもってして86歳である。

 

消費者もバカではない。100年に1度のボジョレー・ヌーヴォーが毎年登場すれば、そのキャッチコピーの真偽に疑問を抱く人が増え、「ボジョレーヌーヴォー=詐欺」という公式が生まれてしまうからだ。

 

販売促進のためのキャッチコピーなのが、逆に詐欺のレッテルを貼られ、売れなくなってしまうのは皮肉である。闇金ウシジマくん"ボジョレー・ヌーヴォー編"が始まる日もそう遠くはない。

 

矛盾を抱えたボジョレー運営側のアンサー

 

ボジョレー運営もその辺ずる賢く立ち回っているようで、100年に1度という宣言をした2年後の2005年に「タフな03年とはまた違い、本来の軽さを備え、これぞ『ザ・ヌーボー』」。2009年には「過去最高と言われた05年に匹敵する50年に一度の出来」といったキャッチコピーを残している。これがつまりどういうことか。

 

まず、2005年の「タフな03年とはまた違い、本来の軽さを備え、これぞ『ザ・ヌーボー』」という発言。これはつまり、『03年とは違う個性を持っているし、ザ・ヌーボー(ヌーボーの王道)だよ。』という意訳ができる。

 

ここからボジョレー運営の意向として、03年=05年という方向性に持っていこうとしつつもそれを断定せず、あくまでニュアンスを仄めかす方向に留め、消費者をかく乱していることがわかる。

 

そして、その4年後の2009年の発言では「過去最高と言われた05年に匹敵する50年に一度の出来」と謳っている。05年は過去最高であるという発言は質面で過去最高であるという断定であり、03年=05年を証明しうる。いや、過去最高と謳っているのだから、もはや03年<05年という証明を完了してしまっている。

 

つまり、100年に1度という言葉を使わずに上手く消費者の目を騙し、100年に1度以上のボジョレーを量産するというバグ技コマンドを編み出している。上から14番目の道具でセレクトボタンを押すやつだ。

 

ちなみに翌年の2010年が「2009年と同等の出来」といったお手軽コピーペーストな方法で量産しているので、100年に1度の出来が10年以内に3度訪れていることになる。『100年に1度』のバーゲンセールである。

 

そして、あれだけトリッキーな戦術で100年に1度といったワードを使わずに100年に1度を量産していたにもかかわらず、翌年2011年には「100年に1度の出来とされた03年を超す21世紀最高の出来栄え」といった失言が世界を震わせた。21世紀の序盤も序盤で「21世紀最高の出来栄え」という確約を消費者に明言してしまった。

 

それ以降は、「21世紀最高の出来栄え」といった失言が響いたのか、日頃の行いが悪いのかは知らないが

 

2012年「偉大な繊細さと複雑な香りを持ち合わせ、心地よく、よく熟すことができて健全」

2013年「みずみずしさが感じられる素晴らしい品質」

2014年「太陽に恵まれ、グラスに注ぐとラズベリーのような香りがあふれる、果実味豊かな味わい」

2015年「過去にグレートヴィンテージと言われた2009年を思い起こさせます」

2016年「エレガントで酸味と果実味のバランスがとれた上品な味わい」

 

 

と2012年以降は明らかに戦略の方向性を変えている。ツイッターSNSの本格的普及が2011年前後なので、その辺でボジョレー・ヌーヴォーの戦闘力の闇が消費者に暴かれ、叩かれたのであろう。

 

ボジョレー・ヌーヴォー」評価論から学ぶ人たらし術

 

 さて、ここからが本題だ。

 

このボジョレー・ヌーヴォーのキャッチコピーの特徴を要約すると「正直そうでもない商品を、過剰なキャッチコピーによって美味しく仕立て上げ、消費を促している」ということである。正直な話、ボジョレー・ヌーヴォーより美味いワインなんて沢山ある。

 

しかし、これほどボジョレー・ヌーヴォーという存在に購買の魔力があるのは、1年に1度という効果もあるが、キャッチコピーの大袈裟さがフックとなり購買に大きな影響を与えていることも多分に考えられる。

 

そして、この「正直そうでもない商品を、過剰なキャッチコピーによって美味しく仕立て上げ、消費を促している」。このフレームワークそのままこれが上司と部下間の円滑なコミュニケーション手法として有能なものではないか。そう思ったのだ。

 

例えば、上司が新入社員の山田を評価するとき。「17年入社の山田は10年に1度の逸材だ」と褒める。当然山田は自らの天才性を褒められたため、喜ぶ。

 

そしてその翌年の2018年には「鈴木は過去10年で最高と言われた17年入社の山田を上回る出来栄えで、07年入社の斎藤以来の出来」と褒める。当然鈴木も自らの天才性を褒められたため、喜ぶ。

 

現在の日本は新卒一括採用が根強い。つまり、1年に1回のイベントであるボジョレー・ヌーヴォーとの親和性が非常に高いのだ。こうやって褒めて伸びるタイプの部下をどんどんおだてていけば、会社の業績は上がり、経営者にその教育の手腕を褒められ、あなたが2代目取締役の座にいること間違いなしなのだ。

 

仮に、10年に1度の逸材系のネタが部下にバレ、あなたの言っていることが詐欺なのではないかといった噂がたったとしてもボジョレーでいう2012年以降のノリで「12年度の山崎は、偉大な繊細さと複雑な香りを持ち合わせ、心地よく、よく熟すことができて健全」「13年度の水島は、みずみずしさが感じられる素晴らしい品質」「14年度の矢島は太陽に恵まれ、グラスに注ぐとラズベリーのような香りがあふれる、果実味豊かな味わい」のように豊富なごいりょくをいかした芸に逃げれば、おーるおっけい。

 

この表現が使えるのはなにも上司→部下の方向性だけではない。「飯島部長はエレガントで酸味と果実味のバランスがとれた上品な味わいで最高です!」というように、部下→上司にも使うことができることを忘れてはいけない。いつ使うのかはわからないけど。

 

そして、今年2017年は「豊満で朗らか、絹のようにしなやか。しかもフレッシュで輝かしい」らしい。よくわからないが、意訳すると「白いシルクのパジャマを着た、体重100㎏オーバーのマシュマロのような肉感をもつフレッシュで明るい女性の味わい。つまり明るいマシュマロデブの味」を感じることができるらしいので、これを機会にぜひ飲んでみてはいかがだろうか?