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ガーターベルトをした女性の足に永遠としがみついていたいという性癖を持つ人は多分日本に10人もいない

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俺がその1人目だ。

 

この性癖が発動するのは、日頃の業務のプレッシャーに疲れ俺の中のM性が出てる時で、逆にS性が出てるときこの性癖がひょっこり「チャンピオン!元気しとぉや!!」という風に挨拶してくることはない。確率は五分五分だ。

 

あと、体型がズボラで太ももの樹齢が100年は超えてるであろう人やそれに準ずる人が着ても意味がない。てめェ、ガーターなめてンじゃねェぞってなる。俺の中の尾崎豊が反骨心を背負ってその人間の人生のズボラさを批判するのだ。

 

ガーターベルトの何がいいか。

 

それはガーターベルトとタイツのコントラスト、ガーターベルトでタイツを繋ぐことで絶対に脱がすことのできない領域として君臨しつつも、太もものチラリズムがそれを脱がせと挑発することによる矛盾。倒錯。

 

その矛盾がエロティックな旋律を奏でているガーターベルトの生き様。脱がしたいけど脱がせられない。ぬぬううううう!!なんともけしからん!けしからんぞおおおおおおお!!!!!!!

 

男はロマンを求める生き物だ。「当たれば1億円、成功確率3%の大博打。」「1万円で揉めるおっぱいよりも1億円でも揉めるかわからないおっぱい。」「高嶺の花。」そんな北極星にあるかのようなマイルストーンに対して男の心は燃えるのだ。

 

無論、ガーターベルトがそんな男のロマンを端的に表した究極のマスターピースであることは言うまでもない。

 

そして、ロマンの代名詞であるガーターベルトが似合う女性は日々肉体や精神、知性に磨きをかけた女性だけであり、似合う女性は肌感覚でそこまで多くないと感じる。

 

別に似合わないからといって二者間で人間的な優劣が発生するわけじゃないが、道端で似合っている女性を見かけるとついつい「お˝ぉぉん˝...」と俺の心のニャンちゅうが感嘆の声をあげる。

 

なぜ俺のニャンちゅうが感嘆の声をあげるのか?

 

その話をする前に、俺の恋愛観について少しだけ話していこうと思う。

 

 

がいがーの恋愛観

 

「俺は心に童貞を飼っている。」

 

これは作家のはあちゅうさんが発祥の言葉だった気がするが、今回の話をするにあたって的を得た言葉なので拝借した。ちなみに2泊3日で320円。TSUTAYAカードもこの際だから作った。

 

一般的な男性であれば、目の前に女性が3人いるとして、もしセンサーにかかる女性がいればアプローチをかけてヤってみて、よさそうなら軽く付き合ってみようというのが普通だろう。

 

しかし俺は心に童貞を飼っている。

 

昔から、女性のことを「結婚相手としてみた時にどうなのか」というフィルターを通して考えるように生きてきた。ここで皆さんは「そんなこと言ってもそれ考え始めたの大学生からとかだろ?」と思っているかもしれない。

 

小3だ。俺は小3の頃からそんなことを考えて生きてきた。賞賛でも硝酸でもない。小3だ。小学校3年生という意味だ。おわかりだろうか?

 

具体例として2つ挙げよう。

 

1,苗字の変更

 

1つ目。小学校3年生当時、俺には好きだった子がいた。その子の家は確か姉妹2人で、俺は長男で妹が1人いる。

 

仮に俺とその子が運よく結ばれて結婚したとしよう。結婚相手の家が女しかいない場合、俺が養子になり苗字を変更する必要がある。

 

そうなると自分の家の名前・血筋はそこで途絶える。俺はそれが嫌なので、好きであったが想いを告げることを諦めた。そんなことを小学校3年生時点で考えていた。狂気である。

 

2,血統主義

 

2つ目。俺は子供ができた時に子供に無駄なハードルを作りたくないという価値観を持っている。

 

カミングアウトするが、俺は身長が160㎝台だ。はてなブログ界のマスターヨーダと呼んでくれ。

 

そのため子供には高身長でいさせてあげたいという強い想いがある。そんな俺はある日、身長に関する興味深い論文を見つけた。

 

それは、「まったく同じスキルを持った社員がいて身長だけが異なっている時、身長が大きい方を出世させる傾向がある」「身長が大きいほうが年収が高い傾向がある」といった内容の記事論文だ。

 

それを見た時、低身長×低身長がおセックスをし子供を産めば、産んだ子供が猫ひろしになり、人生という荒波を渡る際に不幸なことになると考えた。

 

そう考えたため、付き合うなら身長が同程度かそれより高い人がいいという嗜好が生まれた。

 

幸いなことに、普通に身長の高い女性を見ると俺の中のりゅうちぇるが「うわ~ウキウキるんるんっ~~🐱」となるため、これは痩せ我慢などではない。このブログを見た高身長女子で興味のある方は、是非とも俺のTwitterのDMに1通デートのお誘いを送ってほしい。

 

twitter.com

 

あとは、金髪プリン頭でうんこ座りするような女性と結婚したくない。子供がバカになるから。

 

 

俺の性癖は気分屋

  

さて、がいがーの結婚観から言えることは、高身長でバカではない。これに合致する方というのがガーターベルトが似合う確率が高い傾向がある。

 

そんな方が目の前にいたら、顔がタイプじゃないとかいう場合を除き、成否は問わずとりあえず落としにいくチャレンジをすると思う。

 

とはいえ、俺もそこまで女性に対する経験値が豊富なわけではないので、理想の女性を手に入れるための経験値稼ぎとして、そうでもない人を練習台として「遊びで付き合って飽きたら捨てる」というサイクルを繰り返し、経験値を積む必要がある。

 

だが、どうしても「どうでもいい人に割くお金と時間」がもったいなく思えてきて、それならと家に引きこもっておちんぽみるくの語感のよさを確かめたくなる。それが最近のマイブームだ。

 

こんな感じで俺は心に童貞を飼っているため、相手の女性を「結婚相手としてみた時にどうなのか」をついつい品定めしてしまう癖がある。

 

高身長、バカではない以外の要素で絶対重視したいのが””癒し””という要素だが、「ガーターベルトが似合う、日々肉体や精神、知性に磨きをかけた女性」にはバリキャリ女子が多いイメージがあり、バリキャリ女子には癒しのイメージは全くない。

 

俺も意識高い系の端くれではあるので彼女らが嫌いなわけではないが、毎日がそれだと癒しがない。俺は意識高い系ではあるが同時にクズだからだ。

 

俺は確かに「ガーターベルトをした女性の足に永遠としがみついていたいという性癖」が宿っている。しかし、先述の通りこの性癖が発動するのは、日頃の業務のプレッシャーに疲れ俺の中のM性が出てる時であって、

 

S性が出てるときに、バリキャリ女子特有の「早口ハキハキ高圧ジェットワッシャーボイス」でテキパキ上から目線で命令されると、人間の尊厳を踏みにじられてるようで単純にイライラする。「なんだこのアマ?やンのかオラ?」となる。

 

その日の気分によってやってほしいことが変わるから察してよ!って言う女くらい面倒くさいことを発言していると重々承知しております。この世界にエスパーがいないことも知っていますし、人間は話し合わなければ分かり合えない生き物だというのも理解できます。

 

ですが、皆さんにも経験があるはずです。「今日はカレーの気分じゃないのにカレー」「今日は生理なのにデート(多分セックスもするであろう雰囲気)」

 

それと同じで「今日は仕事の気分じゃないのにバリキャリ(ガーターベルト)」。性癖はその日の気分によって変わります。ムラムラした時は自分の多種多様なあらゆる性癖を彼女に受け止めてもらうのではなく、大人しく風俗で満たそう。そういう話です。ガーターベルトについての説明じゃなくなっちゃったけどさ。

 

でも結局、ガーターベルトの似合う高身長な癒し系女性に甘えたいっていうのが結論な気がする。でも、高身長女性ほど普段頼られてばっかで甘えられないから、彼氏にだけは甘えたいっていう話は聞くし、性癖の需要と供給を考えると その辺どうにかならないものかねぇ。結局のところ、足りないものを手に入れる努力をお互いがして支え合える関係がベストだよね。

 

 

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